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当院の紹介

当院の沿革

当院の初代院長・理事長である高橋亨平は福島県立医科大学を卒業後、産婦人科医局へ入局し、県内を中心に診療を行っていました。
研究や診療に多忙な生活を続けているうちに大学紛争の時代に入りました。医学部でも若手医師の待遇改善を求める運動が各地で起きていました。福島医大でもその影響は大きく、病院でストライキが起き、医学生から逮捕者が出るなど荒れた時代でした。
その紛争が落ち着いた頃に、高橋院長は原町市立病院(現南相馬市立病院)に赴任しました。一年後は大学病院に戻るという予定でしたので、その後数十年この地で診療を続けることになるとは当時は予想していなかったことでしょう。

市立病院勤務し始めてから十年後に開業を決意し、場所を原町第二小学校から程近い、住宅地の一角にすることを決めました。
昭和55年に19床の原町中央産婦人科医院が開業しました。

開業の決断には、高橋院長の実践したい理念が影響していました。
病気になっているからといって、無味乾燥なところにいたいはずはない、健康な人が清潔できれいな場所にいることを望むように、病院の環境もそれに準ずるべきである。 ホテルのような病院が理想、として当時としては珍しい試みをいくつか取り入れました。

壁はクロス張り、床は絨毯、それも赤い絨毯で、病室の扉はオレンジ色、内装はこのようにして明るい雰囲気を作るよう心がけました(写真01)。また、今は珍しくなくなりましたが、患者さんや家族がくつろげるようなデイルームを設置しました(写真02)。 待合室の椅子はゆったりと座れるように大きく座り心地のよいものを購入し、30年以上経った現在でも開業当時の椅子を使用しています(写真03)。
ベッドは病院用ではなく家庭用を導入し、低反発マットの使い心地がいいことを知れば、さっそく全室に導入するなど、常に利用者目線で施設を整えていました。
食事についても、あまり予算は気にせず栄養価のある美味しい食事を提供するという考えでした。

院内画像
当院における年間分娩数の推移

当時はお産が年に700件を超えたこともありましたが、多くのスタッフが支え、長く安定していました。
時代は平成となり、少子化という言葉が聞こえてくるようになった頃、お産は市全体としても減少し、グラフに示すように当院でも月に数件という数にまで減少しました。
外来患者は更年期障害や内科的な疾患が主たるものとなり、お産を扱うことは徐々に少なくなりました。

こうした中、大きな変化が訪れたのは平成23年の春のことでした。
東日本大震災が発生し、その後の原発事故を含め、街は大混乱に陥りました。
当院では、ほぼ休診することなく、診療を続け、スタッフが奔走する日々が続きました。
その混乱の中、追い打ちをかけるように高橋院長が大腸癌多発転移と診断され、治療を受けながら診療を続ける事態となりました。
被災地の様子が報道されるに伴い、院長への取材が少しずつ増え、国内外を問わずテレビ局、新聞社、雑誌社から多くの取材を受けるようになりました。
自身が癌と闘いながら診療を続けることに関心が寄せられていることを知りつつも、被災地とその地域医療の現状を伝えるため、あらゆるメディアを通して情報発信を続けました。医院のホームページにも思いを文章に綴り、時折掲載していました。

平成23年、平成24年と被災地の住民と共に歩み、病と闘う日々が続きました。しかし病に打ち勝つことはできず、平成25年1月、高橋院長は他界しました。

その後、理事長職を高橋院長の長男である麻酔科医の高橋晋一郎が継承し、新院長として循環器内科医の中林智之氏を迎え、新たな診療体制を整え、現在に至ります。

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